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忘却

ほとんど忘れてしまっています。
10年ほど前まで、陶芸教室を開いていました。
たくさんの生徒さんが、この狭い蓑毛の教室に来てくださって、
いまは閑散とした我が家が華やいでいた時期があったのです。
その頃は、ずいぶん陶芸書をあさって知識を詰め込んだものです。
根の浅い知識でも、生徒さんのてまえ必要でした。

家人以外、顔を合わさない毎日が続くこの頃、
ふと気付けば、あの知識はどこへ行ったんだろう。
脳みそに膜が張り付いて、引き出しを見つけられません。

頭で覚えたことは、この爺には限界があるようです。
まあ、さっぱりとしてよい気分ではあります。
覚えていることといったら、体で経験したことばかり。
知識ではなく(ちょっと照れくさいけど)知恵の部分しか残っていません。
(たいした知恵でもないけれど。)

こうして老いていくのだと別段イヤでもないのです。
「何かすることはないか。つまらない」が口癖で、
それを繰り返して毎日が暮れていきます。
そんな爺に最近、勉学への圧力がかかってきました。
望んだわけではありません。
還暦をひとつ過ぎた爺の目は、さすがに老眼です。
眼鏡こそかけていませんが、天眼鏡を手放せません。
虫眼鏡で文字を追うのは厄介です。
なのに、なのに調べ物が増えているのです。

爺作の井戸茶碗の釉薬は、いわばロビンソンクルーソーです。
離れ小島で孤立しています。
この釉薬は爺の井戸手に焼き上げるだけの、爺が見つけ出した、
爺で終わってしまう、それだけのレシピなのか、
それとも歴史的に忘れ去られた遺物なのか、
ここが爺には気がかりなりだしました。

カイラギだけが目的ならば、それもいいですし、
現に爺も、それだけを願って試作してきたのですが、
今の時点の目で振り返ると、本で読む陶芸技術史(特に釉薬)に違和感を感じるのです。
非効率な故、江戸期に忘れ去られた別系統の陶芸技法があって、
それは古代中国から発して脈々とある時まで一系統を保ってきた。
「ある時」とは、それぞれの地域での長石の発見と使用開始を指します。
えらい大風呂敷を広げて、爺も自身にまとまりがつかないのですが、
この検証が、茶碗造りをしながらの爺の片方の仕事になってしまいそうです。
自作井戸釉薬の概要を述べられないのは、この検証が一部でも出来ていないからです。

真摯に(なぁんて大げさです)が、まぁちょっぴり素直な目で見てみると、
部分的ではありますが一般論に疑問が出てきたりしてしまって、
批判しようなど思ってもいないのに、
現代のコンセンサスに異を唱えている爺を発見してたじろぎます。
ごたぶんにもれず、爺は爺の脳で見ている訳で、けっして目だけで見ていないから、
爺の脳が作り出した方向へ結論を導き出したい訳でして、
それを知っているから、反対の実験もするにはしていますが。

理屈っぽくなってしまいました。
まずは千年前の中国の磁州窯の黒釉掻き落し技法を検証のはじめとして、
結果を出すべく、試作が始まっています。
また、ご報告いたします。


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井戸茶碗陶術遣い

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